峯・新郷周辺o散歩
台地の自然の中で人々の暮らしと信仰に触れる
宝泉寺(大竹248)
■「植木のまち安行」の入口、大宮台地南端斜面の閑静な住宅街にひっそりたたずむお寺です。山門をくぐり左にある「獣一面観音」は、説明板に『川口市内唯一のもので、上半身が仏の姿、下半身が神像風の異形で、やさしい童顔の頭上に怪獣のような二本のツノと口ひげをはやした竜の面が造られている。十一面の「十」を「獣」にもじった珍しいものである』と記されています。 ※宝泉寺HP
新郷若宮公園・新郷貝塚(東貝塚79)
■新郷貝塚は、約3千500年前縄文後期の遺跡で、U字型に並ぶ三つの貝塚からできています。土偶、石斧、装飾品も出土し、貝の層が2メートル以上と市内では最大規模の貝塚です。大正12年(1923年)に、埼玉県史跡に指定。現在は川口市が「新郷若宮公園」として整備。散策路にも白い貝殻が散らばっています。
(川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
■新郷貝塚
埼玉県選定 史跡 年代:縄文時代
本県を代表する縄文時代後・晩期の貝塚遺跡です。貝塚は概ね馬蹄形を呈し、南北150m、東西120mを測ります。我国近代考古学の揺籃期である明治26年(1893)に東京帝国大学人類学研究室の鳥居龍蔵博士が最初の発掘調査を実施しました。実測した遺跡は、現在は新郷若宮公園となっています。 (川口市立文化財センターHPより)
■新郷貝塚
埼玉県選定 史跡 年代:縄文時代
本県を代表する縄文時代後・晩期の貝塚遺跡です。貝塚は概ね馬蹄形を呈し、南北150m、東西120mを測ります。我国近代考古学の揺籃期である明治26年(1893)に東京帝国大学人類学研究室の鳥居龍蔵博士が最初の発掘調査を実施しました。実測した遺跡は、現在は新郷若宮公園となっています。 (川口市立文化財センターHPより)
峯ヶ岡八幡神社(峯1304)※旧谷古田領の総鎮守
■大鳥居をくぐると参道には石灯籠が並び荘厳な趣。周辺には神木の風格を持つ巨木が生い茂り、森全体が市の天然記念物です。正面の神殿は平安時代の創建で源氏の武将たちが戦勝祈願に参拝したと伝えられます。境内でひときわ目を引くのが、社殿右手の大イチョウ。樹齢は推定600年。根元の力石は、江戸時代の祭りで勝ち抜いた力自慢の男たちの記念石。晩秋の境内はイチョウの葉で金色に染まり、それは見事です。御神体は木造の僧形(そうぎょう)八幡坐像。仏門に帰依した応神天皇の霊といわれ、寄木造りの胎内には鎌倉時代の経文や願文約40点が納められています。
(川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
■峯ヶ岡八幡神社の社叢
川口市指定 天然記念物
峯ヶ岡八幡神社の約7,700㎡の境内には、樹齢600年、高さ27m、目通り8mの大イチョウをはじめ、ヒノキ、シラカシ、スダジイ、タラヨウなど400本余の樹木をはじめ、ヤブミョウガ、クサソテツ、ベニシダ、アズマネザサ、ヤブコウジなどの草本類がよく繁茂しており、独特の植生をなしています。地域を代表する鎮守の森です。
※ 見学にあたっては、マナーを守り、所有者・管理者、他の参拝者や見学者の迷惑とならないようにお願いします。 (川口市立文化財センターHPより)
新光寺(大字峯1319)
■平安時代の後三年の役の際、奥州に向かう新羅三郎源義光が谷古田八幡宮(現峯ヶ岡八幡神社)に必勝祈願するとイチョウの木から白鳩が飛び立ち、戦(いくさ)に勝利します。その新羅三郎源義光の「新」と「光」の2字を取って新光寺としたと伝えられます。天台宗では江戸時代は峯ヶ岡八幡神社の別当寺院でした。
(川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
■妙法蓮華経版木
川口市指定 有形文化財 年代:室町時代
この妙法蓮華経版木は、武州太田庄慈恩寺(現・さいたま市岩槻区)の幡崎坊秀慶円末同秀善が、文亀3年(1503)から永正3年(1506)の三カ年をかけて開版したものです。いつ新光寺に伝えられたかは不明で、一部脱落や虫食痕もあるが、全巻53枚が揃っており、貴重な資料です。
※ この文化財は、一部が文化財センターで公開されています。見学にあたっては、他の見学者の迷惑にならないようお願いします。 (川口市立文化財センターHPより)
■妙法蓮華経版木
川口市指定 有形文化財 年代:室町時代
この妙法蓮華経版木は、武州太田庄慈恩寺(現・さいたま市岩槻区)の幡崎坊秀慶円末同秀善が、文亀3年(1503)から永正3年(1506)の三カ年をかけて開版したものです。いつ新光寺に伝えられたかは不明で、一部脱落や虫食痕もあるが、全巻53枚が揃っており、貴重な資料です。
※ この文化財は、一部が文化財センターで公開されています。見学にあたっては、他の見学者の迷惑にならないようお願いします。 (川口市立文化財センターHPより)
新郷東部公園(大字新堀573-1)
■”水に親しむ、緑に憩う。でも、いざという時には洪水を貯留します”をテーマに新郷多目的遊水地(新郷東部公園)が、川口市新堀に建設され市民に開放されています。遊水地は、峯・新堀・東本郷地区を流れる辰井川の洪水対策事業として埼玉県が整備を進め、これに併せて川口市が市民の健康増進や憩いの場にしようと公園施設を併設しました。
全棟寺(東本郷868)
■開基は旧谷古田領の名主であった大河彦右衛門。徳川家康が鷹狩りに訪れた時、当代の彦右衛門の娘きよが家康に見初められ、大奥に入り側室「お京殿」となったといわれます。境内にはお京殿を供養する宝篋印塔(ほうきょういんとう)、山門には三つ葉葵の紋があります。もとは知恩院の流れをくむ浄土宗の寺院で、開山は室町時代の初期、文明5年(1473)。 (川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
東本郷氷川神社(東本郷1249)
■「当社は、初め東本郷の南方にある本郷谷下に鎮座していたが、大風が吹き北の本郷の水田に飛ばされ、更に現在の地に鎮まったと伝えられている。勤請の年代は明らかではないが、当社が谷古田郷の本郷に鎮座することから、往古から郷中の厚い崇敬を集めたものと思われる。社蔵棟札によると、元禄十六年(一七〇三)正月、別当法印智鑑の時、更に享保二十年(一七三五)三月、別当法印阿心の時、それぞれ社殿の造営が行われている。明治四十年、大字蓮沼字居柳の村社熊野社、大字大竹字後の村社神明社、大字東本郷字見沼台の無格社稲荷社を合祀している。」 (境内御由緒より抜粋)
傑傳寺(東本郷1506)
■戦国時代には太田道灌が築城した本郷城があったといわれる高台にたちます。武州川口七福神の恵比寿様を祀ります。座禅体験会なども開催し、境内には灯籠形をした石憧六地蔵が立ち、本尊は釈迦如来。江戸時代初期に永平寺の住持も務めた高国英峻(こうこくえいしゅん)によって開かれました。英峻は総同州の規範を立て格式を再興した高僧です。
(川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
■武州川口七福神 恵美寿神 ※傑傳寺HP
辰井公園(赤井3-7)
■辰井公園は滑り台やスプリング遊具などの子供用遊具がある公園です。その他園内にはバーゴラや休憩用のベンチなどが設置され、桜の季節には隣接する見沼代用水東縁の桜並木が見事です。 (彩の国埼玉情報サイト さいたまなびHPより)
赤井氷川神社(赤井488)
■当社は化政期(一八〇四~三〇)の『風土記稿』に「飛鳥山権現社春日白山の二座合祀す、村の鎮守なり」と見え当時は飛鳥山権現社と称していた。熊野三神が降臨した最初の本宮とされる和歌山県新宮市に鎮座する、飛鳥神社を勧請したものと思われる。その後、弘化元年(一八四四)に名主の平野家が大宮より氷川大明神を分祀し社名を氷川社に改めたと伝える。主祭神は素戔嗚尊で、明治四十年の合祀により天照大御神(字谷下の神明社)・倉稲魂命(字谷田の稲荷社)・菊理姫命・伊弉諾尊・伊弉冉尊(大字前野宿字上野の白山神社)が合祠神として祀られており・当社の氏子区域は、大字赤井と、合祀以後氏子となった大字前野宿からなる。 (境内:御由緒より)
江戸袋氷川神社(江戸袋3-28-22)
■川口市の無形民俗文化財「江戸袋の獅子舞」が行われます。三頭立ちの獅子で、保存会のみなさんによって春は4月第2日曜日、秋は10月第2日曜日に披露されます。春は村内をお祓いして回り、秋は神社拝殿で一庭(ば)から七庭(ば)までが舞われます。神仏混淆時代、室町期の仏像は市指定有形文化財。鳥居手前には周辺が水田だったことを偲ぶ石橋も。
(川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
■江戸袋の獅子舞
川口市指定 無形民俗文化財 年代:江戸時代
江戸袋の獅子舞は、旧江戸袋村に江戸時代初期から伝えられてきました。春は4月、秋は10月のそれぞれ第2日曜日に、氷川神社境内を中心に悪魔祓い、五穀豊穣、氏子繁盛を祈願して実施されている三頭立獅子舞です。昔は「江戸袋のバッタバッタ舞」として親しまれ、現在、舞手は小、中、高校生が務めています。
※ 毎年行事開催日に併せ公開されています。日時および場所4月第2日曜日(村祈祷)10月第2土曜日(宵宮)10月第2日曜日(本祭)江戸袋氷川神社
■江戸袋氷川神社蔵仏像
川口市指定 有形文化財 年代:平安時代
江戸袋氷川神社の4駆の仏像は、平安時代末期から南北朝時代に造られたもので、神社本殿の厨子に秘蔵されてきたことは奇跡的で、まさに歴史を物語る文化財と言えます。風水害、虫害による朽損が目立ちますが、仏像彫刻の価値は損なわれていません。木造菩薩形坐像一躯(像高34.2cm)、木造観音菩薩立像一躯(像高52.2cm)、木造十一面観音立像二躯(50.1cm、103.7cm)からなります。
※ この文化財は、一般公開は行っておりません。 (川口市立文化財センターHPより)
■江戸袋の獅子舞
川口市指定 無形民俗文化財 年代:江戸時代
江戸袋の獅子舞は、旧江戸袋村に江戸時代初期から伝えられてきました。春は4月、秋は10月のそれぞれ第2日曜日に、氷川神社境内を中心に悪魔祓い、五穀豊穣、氏子繁盛を祈願して実施されている三頭立獅子舞です。昔は「江戸袋のバッタバッタ舞」として親しまれ、現在、舞手は小、中、高校生が務めています。
※ 毎年行事開催日に併せ公開されています。日時および場所4月第2日曜日(村祈祷)10月第2土曜日(宵宮)10月第2日曜日(本祭)江戸袋氷川神社
■江戸袋氷川神社蔵仏像
川口市指定 有形文化財 年代:平安時代
江戸袋氷川神社の4駆の仏像は、平安時代末期から南北朝時代に造られたもので、神社本殿の厨子に秘蔵されてきたことは奇跡的で、まさに歴史を物語る文化財と言えます。風水害、虫害による朽損が目立ちますが、仏像彫刻の価値は損なわれていません。木造菩薩形坐像一躯(像高34.2cm)、木造観音菩薩立像一躯(像高52.2cm)、木造十一面観音立像二躯(50.1cm、103.7cm)からなります。
※ この文化財は、一般公開は行っておりません。 (川口市立文化財センターHPより)
東光院(江戸袋1-20-32)
■ここには毛長川の自然堤防上にできた珍しい貝塚がありました。墓地に中央には造成中に出土した応安元年(1368)の種子釈迦如来の美しい板碑も。
(川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
見沼代親水公園(足立区舎人地内)
■「見沼代用水」は、かつて農業用水として埼玉県や東京都の流域農業を支えてきました。用水の下流部に位置する「見沼代親水公園」は全長1700mの水路に沿った緑道も整備され、周辺住民にとって憩いの空間となっています。カモやサギなど水辺の生き物の観察や、四季折々の植物を楽しめる散策コースとして親しまれています。春には公園内の約70本の桜と東側に隣接する「舎人緑道公園」の約340本の桜並木とあわせ、桜の名所として訪れた人の心を和ませます。夏には子供も遊べるスポットとして半円形のかわいいプールやじゃぶじゃぶ池もあり、疲れたらベンチや縁台、休憩所でひと休みできる「水と緑のふれあい散歩路」となっています。秋にはモミジなどの紅葉が深まりゆく秋と冬のおとずれを伝えてくれます。
※見沼代用水については(さいたま市見沼たんぼのホームページ)をご覧ください。