赤山・新井宿周辺o散歩
関東群代伊奈氏の拠点・赤山城跡から市民自慢の植物苑へ
神根地区の農業
川口の植木産地と言えば案行ですが、切り花・枝物は神根地域で栽培が盛んでした。江戸時代は、徳川三代将軍が花好きだったことと、生け花文化が庶民にも浸透したことから枝物の需要が増し、「赤山物」の呼び名で出荷されました。また、「赤山渋」の名で知られる柿渋生産の中心地でもありました。
(川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
川口で植木や盆栽とともに 伝統と技術を誇る”赤山の枝物”
■植木や盆栽の産地として全国的に有名な川口市の安行地区。その安行に隣接するのが、枝物の産地として古くから名が知られている「赤山」地区です。明和・安永(1764~1781)のころ、旧安行領赤山に住んでいた岩橋太郎兵衛が剪定で出る刈り枝をそのまま捨てるのは惜しいと、江戸の町に売り込んだ。すると、これが意外にも好評を得て、たちまち評判となりました。これが「赤山の枝物」のはじまりとされています。
(川口市:みどりのまち川口の歩き方より)
赤山渋
■生食では敬遠される柿の渋ですが、以前は防腐剤・防水材などとして庶民の生活用品に使われてきました。特に見沼や綾瀬川緑地の大地で生産された渋は「赤山渋」と呼ばれ、江戸時代中期には高値で取引されるほど特産品として名をはせていました。
真乗院(大字石神1253)
■足立観音霊場三十番札所。徳川吉宗の日光社参の休憩所になったというお寺。樹齢800年といわれるコウヤマキ(高野槙)は幹回り4,5メートル、樹高18メートルの荘厳な巨木で市の天然記念物に指定されています。ほかにカヤ1本、スダジイ2本の大木もあります。 (川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
■コウヤマキ
川口市指定 天然記念物
本堂前庭に生育する往時の植栽樹です。日本西南部の太平洋側に自生しているスギ科の植物で、日本特産の常緑樹です。樹高18m、目通り4.5m、枝張り5.5mを測ります。真乗院は日光御成道の鳩ヶ谷宿と大門宿との間にあり、日光社参の折には徳川将軍の御休所とされました。街道の変化を静かに見守ってきた大木です。
■道標 (地蔵菩薩)
川口市指定 有形文化財 年代:江戸時代
本塔は、石神町の地蔵信仰者6人によって元文2年(1737)に造立された、道標を兼ねた地蔵菩薩塔です。江戸時代の川口市域において重要な幹線道路であった日光御成道と赤山街道千住道の数少ない道標の一つであり、地域の歴史を知るうえで重要な文化財です。
■コウヤマキ
川口市指定 天然記念物
本堂前庭に生育する往時の植栽樹です。日本西南部の太平洋側に自生しているスギ科の植物で、日本特産の常緑樹です。樹高18m、目通り4.5m、枝張り5.5mを測ります。真乗院は日光御成道の鳩ヶ谷宿と大門宿との間にあり、日光社参の折には徳川将軍の御休所とされました。街道の変化を静かに見守ってきた大木です。
■道標 (地蔵菩薩)
川口市指定 有形文化財 年代:江戸時代
本塔は、石神町の地蔵信仰者6人によって元文2年(1737)に造立された、道標を兼ねた地蔵菩薩塔です。江戸時代の川口市域において重要な幹線道路であった日光御成道と赤山街道千住道の数少ない道標の一つであり、地域の歴史を知るうえで重要な文化財です。
西福寺(西立野420)
■境内右手、朱色の三重塔がひときわ目を引きます。春は満開のサクラが調和し、実にきれいです。信仰が厚かった徳川三代将軍家光の息女千代姫により建立されました。釘をまったく使わずに組み上げ、第1層の天井から真上に柱を建て、そこから2層、3層の屋根に梁を渡してバランスをとるという、強風や地震に耐える構造で、木造の塔としては埼玉県1の高さ。大日・阿弥陀・釈迦の如来三像を安置する埼玉県有形文化財です。境内奥の観音堂本尊の如意輪観音胎内には、西国三十三カ所、秩父三十四カ所、坂東三十三カ所の百体の観音像が納められて、西立野の百観音として知られます。真言宗豊山派の寺院。
(川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
■三重塔
埼玉県指定 有形文化財 年代:江戸時代
この三重塔は、盛土を基壇とし、自然石を礎石とした高床式の三層塔婆です。寺伝によると、三代将軍家光の長女千代姫が元禄6年(1693)に願主となって建立され、塔内には釈迦三尊と千代姫の位牌が安置され、相輪の宝珠には、正観音、毘沙門天、仏舎利が安置されています。総高は22.96mを測り、県内に現存する最も高い木造建築です。様式は、和様を基調とし桟唐戸や勾欄・親柱等を唐様としています。
※ 見学の際にはマナーを守り文化財の所有者、近所の方、他の見学者や参拝者の迷惑とならないようにお願いします。なお、外観のみの公開です、建物の内部の見学はできません。
(川口市立文化財センターHPより)
■三重塔
埼玉県指定 有形文化財 年代:江戸時代
この三重塔は、盛土を基壇とし、自然石を礎石とした高床式の三層塔婆です。寺伝によると、三代将軍家光の長女千代姫が元禄6年(1693)に願主となって建立され、塔内には釈迦三尊と千代姫の位牌が安置され、相輪の宝珠には、正観音、毘沙門天、仏舎利が安置されています。総高は22.96mを測り、県内に現存する最も高い木造建築です。様式は、和様を基調とし桟唐戸や勾欄・親柱等を唐様としています。
※ 見学の際にはマナーを守り文化財の所有者、近所の方、他の見学者や参拝者の迷惑とならないようにお願いします。なお、外観のみの公開です、建物の内部の見学はできません。
(川口市立文化財センターHPより)
赤山城址(赤山768)
■埼玉県指定旧跡)外環道をくぐると目の前が赤山陣屋址。関東群代伊奈氏が江戸幕府の直轄地を治めるためにつくった役所の一つで、伊奈家第三代半十郎忠治の時に小室(現伊奈町)から赤山に移し、関八州を治めていました。城を思わせる赤山陣屋は、総面積が約8ヘクタール。北側と西側は二重の堀で囲まれ58の家臣の屋敷と、広大な神域を持つ天神・八幡・山王の山王三社、伊奈家菩提寺の源長寺などが集まり城下町のようでした。近くのバス停名、曲輪・門下町などに名残があります。現在は赤山城址の碑が建ち、空堀が復元されており、美しい竹林や生垣の続く遊歩道が整備されています。
(川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
(川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
赤山山王日枝(ひえ)神社(赤山218)
■山王権現社ともいい、かつては徳川家と縁の深い山王社、学問の神の天神社、武家の守護神八幡社で構成され、それぞれに立派な鳥居があったそうです。山王神社の傍らには、伊奈家五代半左衛門忠順(ただのぶ)が、父母への恩返しと伊奈家の繁栄を込めて建てた八幡宮石祠があり、本殿と共に川口市有形文化財に指定されています。
(川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
■八幡宮石祠 (伊奈忠順の碑文)
川口市指定 有形文化財 年代:江戸時代
この八幡宮石祠(伊奈忠順の碑文)は、宝永4年(1707)11月に、関東代官伊奈半左衛門忠順が父母の報恩と伊奈家の繁栄を願い、八幡社の宮域を整備し、山王社の傍らに建碑したものです。赤山城跡内に残る数少ない遺品として貴重な文化財です。
■赤山山王権現社本殿 付覆屋・狛犬
川口市指定 有形文化財 年代:江戸時代
赤山陣屋の一角に祀られ、赤山陣屋敷絵図面にも記されています。創建年代については明らかではありません。「新編武蔵風土記稿」によると、江戸時代には村の鎮守と記されていました。同社内に八幡社、天神社も存在しています。当社殿は、江戸時代の覆屋に納められ、全体的に保存状態は良好です。形式は、本格的な一間社流造りで、形式から禅宗様の特徴がうかがわれ、江戸時代初期の当地方における神社建築様式を知るうえで貴重です。
※ 見学の際にはマナーを守り文化財の所有者、近所の方、他の見学者や参拝者の迷惑とならないようにお願いします。なお、外観のみの公開です、建物の内部の見学はできません。
(川口市立文化財センターHPより)
■八幡宮石祠 (伊奈忠順の碑文)
川口市指定 有形文化財 年代:江戸時代
この八幡宮石祠(伊奈忠順の碑文)は、宝永4年(1707)11月に、関東代官伊奈半左衛門忠順が父母の報恩と伊奈家の繁栄を願い、八幡社の宮域を整備し、山王社の傍らに建碑したものです。赤山城跡内に残る数少ない遺品として貴重な文化財です。
■赤山山王権現社本殿 付覆屋・狛犬
川口市指定 有形文化財 年代:江戸時代
赤山陣屋の一角に祀られ、赤山陣屋敷絵図面にも記されています。創建年代については明らかではありません。「新編武蔵風土記稿」によると、江戸時代には村の鎮守と記されていました。同社内に八幡社、天神社も存在しています。当社殿は、江戸時代の覆屋に納められ、全体的に保存状態は良好です。形式は、本格的な一間社流造りで、形式から禅宗様の特徴がうかがわれ、江戸時代初期の当地方における神社建築様式を知るうえで貴重です。
※ 見学の際にはマナーを守り文化財の所有者、近所の方、他の見学者や参拝者の迷惑とならないようにお願いします。なお、外観のみの公開です、建物の内部の見学はできません。
(川口市立文化財センターHPより)
赤山歴史自然公園※イイナパーク川口(大字赤山501)
■"川口市が「水と緑のオアシス空間」の創出をテーマに、都市農業の再生、地域活性化による持続可能な緑地・自然環境の保全、川口市が誇る歴史・文化を活かし新たな緑のレクリエーションの拠点として整備した公園です。域内は<自然体験><歴史探索><地域振興><赤山オアシス>のゾーンに区分され、それぞれのゾーンはお友達やご家族連れでも、老若男女、お子様でも楽しめる空間が広がります。
平成30年(2018)4月、公園の一部(約3.6ha)に子供向け大型遊具(フワフワドーム)、歴史自然資料館、地域物産館も完成しました。現在、公園北側区域では、昆虫をはじめとする多様な生き物が共生できるようにエノキやクヌギなどの落葉広葉樹を植栽し、子どもたちが自然とふれあう自然環境学習の場の整備を行なっています。また、ハイウェイオアシスの整備では、首都高速道路の川口パーキングエリアと公園を直結させ、高速道路を降りずに公園や地域を散策できる全天候型の屋内遊具施設を含む施設建設工事に着手し、令和4年度の供用開始を目指しています。
「赤山歴史自然公園」の愛称【イイナパーク川口(IINA PARK KAWAGUCHI)】とは、『本公園が位置する赤山には、関東郡代伊奈忠治氏が赤山領の拠点として築城した赤山城跡(赤山陣屋敷址)があり、伊奈家の「伊奈(イナ)」をイメージすることができる』、『子どもから大人まで親しみやすく、覚えやすい』等の選考理由により、平成29年に実施した愛称公募により誕生した愛称です。 (川口市ホームページ:赤山歴史自然公園整備室より)
「川口ハイウェイオアシス」(赤山501-1)
「イイナパーク川口」に首都高初のハイウェイオアシスが誕生しました
レストラン・カフェ・売店ではテイクアウトメニューもご用意していますので、屋内はもちろん屋外でのんびりと食事をお楽しみいただけます。天気の良い日は芝生広場のピクニックもおすすめ。運転の疲れを癒やす休憩から、お休みの日のちょっとしたお出かけまで、お子さまから大人まで楽しんでいただけるさまざまな設備をご用意しています。
江川運動広場(赤山1443)
■赤山街道(県道越谷鳩ケ谷線)と首都高速川口線が交差する西側に設置されている運動広場で調整池としての活用が主目的です。普段は多目的に利用するため、テニスコート、ゲートボールコート、少年サッカー場、ソフトボール場が整備されています。さらに地域のために活用しようと、地元で「武南桜を復活させる会」を結成し運動広場の周囲800mにソメイヨシノ等、桜80本を植栽し大事に育てています。
摂政宮殿下御小憩所の碑(赤山1115)
■摂政宮というのは昭和天皇のことで、生来病弱だった大正天皇が病状悪化のため前年の大正10年11月25日に摂政となった。その摂政宮が越谷の鴨場に行く途中、ここで休憩されたことを祈念して碑を建てたそうです。皇居から荒川の船橋を渡り、日光御成道を通って赤山街道で越谷へ。という道程だと思われますが、約30㎞はありますから、馬で行くのも相当時間がかかったことでしょう。昭和天皇このとき21歳。
(AGC新井宿駅と地域まちづくり協議会:歴史部様資料より)
源長寺(赤山1285)
■源長寺は江戸時代に権勢を誇った関東群代・伊奈家の菩提寺です。元は廃寺でしたが、赤山に陣屋を構えた三代目伊奈忠治が弟の日誉源貞上人に依頼し、再興されました。関東群代の説明は赤山城跡にありますが、伊奈氏は、江戸へ流れていた利根川を東に付け替え、荒川と入間川を合流させるなど、関東平野一帯を水田地帯に変える優れた治水・土木工事を成し遂げた一族で、源長寺境内の「伊奈家頌徳碑」が、その功績を今に伝えています。そのほか境内には、法然上人銅像、頭を北向き、顔を西向きにした涅槃(ねはん)釈迦像、板碑などのほか、本堂には川口市指定有形文化財の阿弥陀如来坐像を祀っています。「花の寺」と呼ばれるように梅林や丁寧に刈り込まれたツツジの生垣も見事です。
(川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
■伊奈家頌徳碑
川口市指定 有形文化財 年代: 江戸時代
関東代官伊奈半十郎忠常が、寛文13年(1673)、弘文学院林之道甫(鵞峯)の文により、祖先の功績を讃えるために、菩提寺である源長寺に建立したものです。高さ190cm、幅100cm、厚さ21cm、碑台は正面中央に亀趺が陽刻されており、高さ61cm、幅130cm、奥行き72cmを測り、石材は根府川石です。
※ 見学にあたっては、マナーを守り、所有者・管理者、他の参拝者や見学者の迷惑とならないようにお願いします。
■阿弥陀如来坐像
川口市指定 有形文化財 年代:江戸時代
この阿弥陀如来坐像は源長寺の本尊で、木造(榧材)寄木造りで、像高88.5㎝、定朝様式を忠実に受け継いでいます。背面中央に「聖蓮社囧誉蘆含和尚」の朱字銘が認められます 。冏誉廬含は、源長寺六世天囧の弟子、寛文13年(1673)に21歳で入寂しており、相当身分の高い人か伊奈氏の一族と推定されます。
※ この文化財は常時公開されていませんので、見学の際には、所有者、管理者の許可を受けて下さい。
見学にあたっては所有者・管理者、他の参拝者などの迷惑とならないようにお願いします。
(川口市立文化財センターHPより)
(川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
■伊奈家頌徳碑
川口市指定 有形文化財 年代: 江戸時代
関東代官伊奈半十郎忠常が、寛文13年(1673)、弘文学院林之道甫(鵞峯)の文により、祖先の功績を讃えるために、菩提寺である源長寺に建立したものです。高さ190cm、幅100cm、厚さ21cm、碑台は正面中央に亀趺が陽刻されており、高さ61cm、幅130cm、奥行き72cmを測り、石材は根府川石です。
※ 見学にあたっては、マナーを守り、所有者・管理者、他の参拝者や見学者の迷惑とならないようにお願いします。
■阿弥陀如来坐像
川口市指定 有形文化財 年代:江戸時代
この阿弥陀如来坐像は源長寺の本尊で、木造(榧材)寄木造りで、像高88.5㎝、定朝様式を忠実に受け継いでいます。背面中央に「聖蓮社囧誉蘆含和尚」の朱字銘が認められます 。冏誉廬含は、源長寺六世天囧の弟子、寛文13年(1673)に21歳で入寂しており、相当身分の高い人か伊奈氏の一族と推定されます。
※ この文化財は常時公開されていませんので、見学の際には、所有者、管理者の許可を受けて下さい。
見学にあたっては所有者・管理者、他の参拝者などの迷惑とならないようにお願いします。
(川口市立文化財センターHPより)
子日(ねひ)神社(新井宿155)※旧新井宿村の鎮守
■旧新井宿村の南端、村境に建てられた鎮守様。「子の権現様」とも呼ばれます。日光御成街道に面していたことから、街道を旅する者の無事を見守り、疫病などが村に入らないように、外界から村を守る役目を担っていました。子日神社に残る絵馬には貴重なものがあり、幾何学の問題とその答えを書いた、文化13年(1816年)奉納の「算額」という絵馬はその一つ。川口には関流和算の流れがあるそうで、貴重な資料です。また、鉄製の草履も珍しい絵馬です。飛脚や車夫、運送業者が仕事の無事を祈り、また、娘の嫁ぎ先での足腰の健康を願ったものもあります。今も健脚を願う奉納のわらじが絶えることがありません。また小さな社ながら、岩を台座ににらみを利かせた2頭の狛犬は迫力満点。神社の反対側は、西新井宿の鎮守様、新井宿氷川神社です。
(川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
多宝院(新井宿157)
■道標 庚申塔
川口市指定 有形文化財 年代:江戸時代
本塔は、文政3年(1820)11月に旧東新井宿村の庚申講中21人が造立しました、江戸時代後期に多く見られる文字の庚申塔で、道標を兼ねています。江戸時代の川口市域の重要な幹線道路であった日光御成道と赤山街道千住道に関わる数少ない道標として貴重な文化財です。
※ 見学にあたっては、マナーを守り、所有者・管理者、他の参拝者や見学者の迷惑とならないようにお願いします。 (川口市立文化財センターHPより)
川口市指定 有形文化財 年代:江戸時代
本塔は、文政3年(1820)11月に旧東新井宿村の庚申講中21人が造立しました、江戸時代後期に多く見られる文字の庚申塔で、道標を兼ねています。江戸時代の川口市域の重要な幹線道路であった日光御成道と赤山街道千住道に関わる数少ない道標として貴重な文化財です。
※ 見学にあたっては、マナーを守り、所有者・管理者、他の参拝者や見学者の迷惑とならないようにお願いします。 (川口市立文化財センターHPより)
西新井宿氷川神社(西新井宿352)※旧西新井宿村の鎮守
■鳩ケ谷神社が兼務する寺神社で、普段はイチョウなどの大木に囲まれた静かな雰囲気の神社です。大祭は、鳩ケ谷氷川神社の神職の手によって10月に行われます。
(川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
(川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
宝蔵寺(西新井宿355)
■西新井宿氷川神社と背中合わせにあります。この寺の「廿一仏庚申待供養板碑(にじゅういちぶつこうしんまちくよういたび)」は永正15年(1518年)のもので、日本最古の廿一仏板碑といわれます。境内には、樹齢100年を超すといわれるサクラの古木が敷地一杯に枝葉を張り、手厚い保護で支えられています。真言宗のお寺で本尊は大日如来。
(川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
■永正十五年銘二十一仏庚申待供養板碑)
川口市指定 有形文化財 年代:室町時代
永正15年(1518)製作の二十一仏・菩薩を本尊とした庚申待供養板碑です。これは、比叡山の守護神である日枝山王二十一社の本地仏への二十一仏信仰とその神使が猿であることから、庚申の申と結びつき、習合した庚申待板碑で、その分布地域の西端にあたることから、川口の地域性を示す貴重な資料です。
※ この文化財は、一般公開は行っておりません。 (川口市立文化財センターHPより)
■永正十五年銘二十一仏庚申待供養板碑)
川口市指定 有形文化財 年代:室町時代
永正15年(1518)製作の二十一仏・菩薩を本尊とした庚申待供養板碑です。これは、比叡山の守護神である日枝山王二十一社の本地仏への二十一仏信仰とその神使が猿であることから、庚申の申と結びつき、習合した庚申待板碑で、その分布地域の西端にあたることから、川口の地域性を示す貴重な資料です。
※ この文化財は、一般公開は行っておりません。 (川口市立文化財センターHPより)
川口市立グリーンセンター(新井宿700)
「植物園」としての奥行に注目
■昭和42年(1967)に市民の憩いの場として開園。東京ドーム約3倍の広さを誇る一大植物苑です。大芝生、花壇広場、日本庭園、花菖蒲園、つつじ山、1年をとおして南国の花が咲いている大温室、カトレアなどの洋ランを展示する鑑賞温室と多彩で、ローマ郊外の街の噴水庭園をモデルにした滝と噴水は見ごたえ十分です。正門大鉄門と同じ鋳鉄パネルが水の舞を引き立てます。春は梅園やさくら広場から開花が始まり、初夏にかけては、ぼたん園、バラ園、つつじ山、山野草が見頃を迎えます。わんぱく広場では、展望すべり台やミニ鉄道、緑の迷路などで遊ぶ子ども達の歓声が聞こえます。冬はスケート場にもなる同センター流水プールは、見沼代用水を渡った先にあります。
(川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
見沼代用水東縁(ふれあい歩道)緑のヘルシーロード
■「緑のヘルシーロード」は、見沼代用水の改修で生じた東縁沿いの空き地を有効活用して、埼玉県が整備した歩行者・自転車専用道路です。南の終点はグリーンセンターですが、北の起点は、なんとはるか行田市利根大堰(とねおおぜき)に始まります。往復100キロメートル超・・・・・・自転車でも一日かかってしまいそうです。
(川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
■見沼代用水は、利根川から取水し、綾瀬川を越えた直後に台地の縁に沿って東西2本に分流します。西側の台地に沿って掘削された 見沼代用水西縁 みぬまだいようすいにしべり (全長約22km)と、東側の台地に沿って掘削された 見沼代用水東縁 みぬまだいようすいひがしべり (全長約16km)です。 見沼代用水は干拓して開発した水田に水を入れたのち、低地を流れる芝川に排水する仕組みをとりました。
この工事により見沼新田だけでなく、その周囲も含む、多くの村に用水を供給することができるようになりました。 (さいたま市見沼たんぼのホームページより)
この工事により見沼新田だけでなく、その周囲も含む、多くの村に用水を供給することができるようになりました。 (さいたま市見沼たんぼのホームページより)
妙蔵寺(安行領根岸1809)
■見沼代用水沿いの川口市野鳥の森に建ちます。山門の左右には阿形、吽形の金剛力士像。中国の仏師の作といわれており、通路天井には十六羅漢の彩色浮彫像も安置されています。山門手前のカヤの古木や川口市保存樹木のイチョウの古木、花の庭や山水風の庭なども手入れの行き届いたお寺です。宗派は日蓮宗。
(川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
(川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
根岸春日神社(安行領根岸73-9)
■川口市安行領根岸にある春日神社です。根岸春日神社は、寛平元年(889)に奈良春日神社を勧請したと伝えられ、建久5年(1194)には鎌倉幕府将軍源頗朝から永七貫文の寄進を受け、石段を建設したと伝えられます。明治6年には、根岸村の鎮守として村社に列せられました。大正12年の関東大震災に際し拝殿が倒壊するなどの被害を被ったが、文久元年(1861)建築の無事であった。爾来80年間、仮建築の拝殿による祭祀を余儀なくされてきたが、平成17年に、氏子中の熱誠による拝殿・幣殿・社務所・境内神社の新築大造営事業が完成し従前の本殿と相俟って、神根地区の鎮守にふさわしい面目を整えた。
(御由緒より抜粋)